不幸せな結婚から解放されて自分の人生を歩んでいる私の母は、最高にカッコ良い。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

「今が人生で一番楽しい」と言った母


先日、私は母と海外旅行に行ってきた。
スペイン、フランス、イタリアをクルーズで周ったり、延泊したスペインではいろんなところを観光した。

それまでにもいろんなところを旅行してきた。
どこもそんなに贅沢はできない貧乏旅行だったけどすごく楽しかった。
毎回見知らぬ土地を訪れるので試行錯誤でケンカをしたりもしながらなんとかやってきた私たちである。

今回の旅行中、いろんなことを話した。
何より彼女が発した「いろんなことがあったけど、今が一番人生で楽しい」というセリフが私にとって一番嬉しかった。

思い返せば私の母は、波乱万丈な人生で、とてもよく頑張ってきました。

好きな気持ちが行き過ぎて暴力に向かってしまった父。


一番最初の父は、母への家庭内暴力(DV)がひどかった。
母に執着し嫉妬や心配な気持ちが行き過ぎてか、PTAの活動で家の外に出るのも嫌がった。
母を自分のところに置いておきたくてがんじがらめにしたい人だった。

私の持つ父との思い出、父はアウトドアが好きで、海や川によく連れて行ってもらった記憶がある。
気分にムラがあって怒りの沸点に到達すると言葉も手も出る。
近寄りがたかったのもあり、私はあまり会話はしなかった。

「必要な物だけまとめて。」家族で家を飛び出した。

私が小学校2年生、兄が5年生のときに母は私たちを連れて家を飛び出した。
その脱出のことを「夜逃げ」と家族で呼んでいた。

私は近所の新体操の習い事を終えて家に帰ると母は「必要な物だけまとめて」と言い、
わけも分からずクリスマスの時に買ってもらった大きなサイズの紙のお楽しみ袋の中にランドセルや筆記用具、気に入っていたぬいぐるみを入れて車に乗った。

健康ランドのようなところに行って一泊し、次の日から街の中心部だけど「○○荘」と名のついたおんぼろの平屋に住むことになった。
部屋は二部屋。壁は白い土壁で、爪でひっかくとぼろっと崩れてくるような、古い家だった。
クラスメイトの男の子に「お前ん家、忍者屋敷みたいだなー!」と言われたのを覚えている。

小学校も突然転校することになり驚いたが母が私たち子どもと安全に暮らすためにした選択なら別に構わないと思った。

離婚調停を行い、4年ほどの別居期間を経て、父と母は正式に離婚した。

家庭内暴力で悩んでいる場合には
緊急避難施設としてDVシェルターというものがあります。
また、母子生活支援施設というところで生活が一定期間可能です。
離婚が成立したら、ハローワークの職業訓練などで手に職をつけるという選択肢もあります。
どんな女性もいつ自分が追いつめられる立場にならないとは限りません。

「再婚相手が見つかるまで飯を作れ。」母はあなたの飯炊き女じゃない。

家庭裁判所を挟み、調停をしていたときの父の言い分はこんな感じ
子どもたちの親権は俺にもある(兄と私を分ける)
俺の再婚相手が見つかるまで飯を作れ

飯を作れの件については呆れちゃうんですが、奥さんを家政婦だと思っている男の人っているんですね。

私と兄は母が好きだから、離婚によって私たちの生活が経済的に苦しくなっても、母が暴力を振られずに幸せに過ごせるなら良いと思った。
暴力を振るい、母を泣かせる父が大嫌いだった。
父と二度と会いたくないと思った。

母は一人で働き、私たち子どもを養った

別居期間中は母は私たち子どもをがんばって育ててくれた。
テレアポ、不動産屋、いろんな仕事をしていた気がする。
仕事で家に帰ってくるのも遅かったけど、兄がいたからさみしくなかった。

再婚。お母さんは本当にこの男の人が好きなの?


私が中学校に上がる頃、母は再婚した。
父と正式に離婚するあたりから、母は好きな男の人がいて、私たちにもよく話してくれていた。
相手もバツ1。
その男の人の家に訪れて話す機会もあったけど、あまり子供の扱いが分からないタイプの男性だった。
初めて彼に会ったときの正直な感想は「お母さんこんな男の人がタイプなんだ。趣味が悪いな。」だ。
なんとなく私は、その人のことが出会った頃から苦手だった。

その人と再婚すると聞いた時、私は貧乏暮らしから抜け出せるのは嬉しいけど、なんだか複雑な気持ちだった。
でも、当時の母の経済的な負担を思うとこれから進学する子ども二人を育てるために下した決断だったのだと思う。

もし、当時シングルマザーの母が、男性と結婚しなくとも充分な国からの保護などを受けていたのであったなら、
彼女は再婚をしたのだろうか?そんなことを考えたりもします。
子どもって、いずれは働いて税金を納めてくれる国の宝でしょ。
頑張って産んだ子どもを捨てずに育てようとしているシングルの女性をもっと支えてくれる国の制度が整っていればいいのにな。と思います。

どうして思い通りにできないからって暴力をふるうの?母はあなたの所有物じゃない。

母は、ダンスが好きだった。
頑張ってレッスンに通っていたのも知っている。
踊りが先生みたいに上手だって褒められてるのも私は知っていた。

近所のバーに踊りの練習に行きたいと言うと義父は「行くな」と言う。
この義父からも、母へのがんじがらめが始まった。

大声をあげて母を罵ったり、すぐ不機嫌になったり、食器を壁に投げつけることもあった。
私は「あんな人と再婚したあなたが嫌いよ」と高校生の多感な時期に母に泣きながら伝えたことがあった。

私が大学を卒業する頃、とうとう義父が母に暴力をふるった。
その事件がキッカケで母は離婚を決意し、家を出て、正式に離婚した。

母は、私たちのために耐えていた

私はここまで母が我慢したのは私たち子どものためだと思った。
経済的に不利な彼女が、自分を犠牲にしてなんとか子どもを社会で生きていけるところまで育てたんだ。

私は、自分たちを育てるために頑張った自分の母を心の底から誇りに思う。
でも、もっと早く義父と別れてほしかった。
お母さんの悲しい顔を見るのがとてもつらかったよ。

家を借りよう。保証人がたてられない場合には
当時、母はパート、兄はフリーター、私は大学4年生。部屋を借りるために連帯保証人が必要でしたが祖父や祖母にも頼みづらく、その際
家賃保証会社を利用して部屋を借りることができました。更新時の手数料など費用はかかりますが、頼れる人がいなかったり急を要する場合には利用を検討しても良いと思います。

バツ2。でも、今が一番好きなことをできてる彼女。

母が2回目の離婚をしてから、私たちは三人暮らしでなんとかやってきた。
私も会社に勤めて、まぁ色々転々としながらも頑張っている。

母は私たちのために犠牲にしていた時間を取り戻すようにいろんなことにチャレンジしている。
学んでみたかった習い事を始めたり、娘や息子とたくさん旅行して、一人でもいろんなところに訪れている。

彼女は言う。
「いろんなことがあったけど、今が一番やりたいことができて人生が楽しい」と。

結婚した夫の行き過ぎた愛が、彼女を苦しめた。
罵られたり、殴られたりもした。

それらを耐えていたことも、
そこから勇気を出して逃げ出したことも、
彼女は、本当に意志の強い人だと思う。

別に貧乏だっていいから、もっと早く離婚してもよかったのに。私だって働けるのに。
でもそれは私たちを守るためだったんだよね。本当にすごいことだよ。

今、それらから解放されて自由に人生を楽しめている自分を褒めてあげて。お母さん。
もちろんそんな苦労をしないことも幸せかもしれないけど、
いろんな苦しいことを経験して、今笑って過ごせているお母さんはとても素敵だよ。

私は母を愛している。
母ともっといろんな所に行って、いろんなものを見て、経験したいと思う。

私にとって母は偉大で、勇敢で、尊敬する女性であり、世界で一番の親友である。

お母さん。私ね、お母さんがやりたいこと応援するよ。


私の母は、一昨年大腸がんを患い手術を受けました。
術後の弱った母を見て、「もっと母との時間を作りたい」と思いました。

おそらく原因は仙台に住む祖母の体調が良くなく、しょっちゅう東京と仙台を夜行バスで行き来し、
過労と心的ストレスによるものと思います。
祖母は昨年、亡くなりました。

祖母の看病も頑張った母。
夫となった男性に虐げられていた母が、今解放されて自分の好きなことに対してどんどん挑戦していく様が誇らしい。
人生まだまだこれから。

パワフルでCOOLなうちの母ちゃん。愛おしい限りです。
一緒にこれからの人生楽しもうね。大好きだよ。

ブログランキング参加中!よければクリックお願いします。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

 

ブログランキング参加中

ぽちっとクリックお願いします

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク