最近、とても印象に残るインタビューを読んだ。
登場するのは、ドン・レッツ。
UKカルチャーの生き証人ドン・レッツ「サブカルチャーに必要なのは行動すること」
私はパンクロックに詳しいわけではないし、彼の作品を熱心に追いかけてきたファンでもない。
それでも、彼の言葉には思わず何度も読み返してしまう力があった。
なぜならそれは、音楽やカルチャーの話であると同時に、「これからをどう生きるか」という話でもあったからだ。
この記事の目次
ドン・レッツとは誰なのか
ドン・レッツは、1970年代後半のロンドンでパンクとレゲエという二つのカルチャーを結びつけた重要人物として知られている。
映画監督、DJ、映像作家として活動し、当時のパンクシーンを8ミリカメラで記録し続けた。
彼が残した映像は、後にパンクカルチャーを語るうえで欠かせないアーカイブとなった。
つまり彼は、歴史を後から解説する評論家ではない。
その現場にいて、その熱気を知っている人だ。
だからこそ、今回のインタビューで語られた言葉にも重みがあった。
私たちは、いつまで踊っていられるのだろう
インタビューの中で、ドン・レッツはこんな趣旨のことを語っている。
人は現実を忘れて踊ることができる。
音楽に身を任せることもできる。
パーティーを楽しむこともできる。
だけど、いつか音楽は止まる。
そして私たちは現実と向き合わなければならない。
私はこの言葉に少しドキッとした。
なぜなら今の時代には、現実から目を背けさせるものがあまりにも多いからだ。
SNS。
ショート動画。
エンターテインメント。
終わりのないタイムライン。
もちろん、それらが悪いと言いたいわけではない。
私自身も音楽が好きだし、本も読むし、映画も観る。
人間はずっと緊張して生き続けることなんてできない。
休息も必要だ。
だけど、その間にも社会は動いている。
法律は変わる。
戦争は起きる。
監視技術は進化する。
差別や排除は形を変えて繰り返される。
私たちが笑っている間も。
踊っている間も。
世界は止まってくれない。
だから時々は立ち止まって、自分の周りで何が起きているのかを知ろうとする。
「自由を守るには、絶え間ない警戒が必要である」
という言葉は、誰かを監視しろという意味ではなく、自分たちの暮らしや社会に関心を持ち続けろということなのかもしれない。
パンクロックからの最大の贈り物
そしてもう一つ、私が強く惹かれたのがDIYについての話だった。
DIY。
Do It Yourself。
自分でやる。
ドン・レッツは、パンクロックが単なる音楽ジャンルではなかったと語る。
そこにはミュージシャンだけでなく、
写真家がいて、
詩人がいて、
グラフィックデザイナーがいて、
映画監督がいた。
それは一つのサブカルチャーであり、生き方だった。
そしてその中心にあったのがDIY精神だった。
「いいアイデアとモチベーションさえあれば、お前もこの一部になれる」
「誰かが許可をくれるのを待つのか?助けてくれるのを待つのか?違う、自分でやるんだよ」
この言葉を読んだ時、私は思わず笑ってしまった。
だって、私の人生もDIYの連続だからだ。
派遣社員として働き、コロナ禍で失職した。
そこから専門学校に入り直し、鍼灸師になった。
一直線のキャリアではなかった。
遠回りばかりだった。
でも、自分で選び、自分で作ってきた。
今書いているこのブログもそうだ。
誰かに頼まれたわけではない。
出版社から声がかかったわけでもない。
自分でサーバーを借りて、自分で記事を書いている。
最近はZINEも作ろうとしている。
売れる保証なんてない。
それでも作りたいから作る。
伝えたいことがあるから作る。
DIY精神とは、技術ではなく態度なのだと思う。
「集団で同期した瞬間」が人を動かす
今回のインタビューで、もう一つ心に残った言葉がある。
ドン・レッツは、ムーブメントには音楽やスタイルだけでなく「人々が集まる場所」が必要だと語る。
そして今の時代だからこそ、
「集団で同期した瞬間」
が重要だと言う。
私はこの言葉に強く共感した。
実は私はインターネットの可能性を信じている。
ブログもSNSもAIも、私にたくさんの出会いと学びを与えてくれた。
孤独な時に支えられたこともある。
だから「ネットはダメだ」と言いたいわけではない。
むしろ逆だ。
インターネットがあったからこそ、私は今こうして発信を続けられている。
それでも、リアルな場所でしか生まれない何かがあることも感じている。
それはライブハウスかもしれない。
スポーツ観戦かもしれない。
あるいは戦争反対を訴えるデモや集会かもしれない。
同じ場所で、
同じ音を聴き、
同じ空気を吸い、
同じ方向を見る。
その瞬間に生まれる熱量は、画面越しでは完全には再現できない。
私自身、音楽ライブで感じた高揚感を覚えている。
会場全体が一つのリズムに包まれる感覚。
知らない人同士なのに、同じ歌を口ずさみ、同じ瞬間に歓声を上げる感覚。
そして最近見てきた市民集会やデモにも、それに近いものを感じる。
そこには怒りだけではない。
希望もある。
「自分だけじゃなかった」
という感覚がある。
誰かと同じ不安を共有し、
同じ願いを共有し、
同じ未来を思い描く。
その時、人は少しだけ勇気を取り戻せる。
ドン・レッツが言う「集団で同期した瞬間」とは、そういうことなのかもしれない。
私が作りたい小さな場所
この言葉を読んでいて、ふと考えた。
私はなぜブログを書くのだろう。
なぜZINEを作ろうとしているのだろう。
それは単に情報を発信したいからではない気がする。
本当は、
同じように迷っている人。
キャリアに遠回りした人。
生きづらさを抱えている人。
それでも諦めたくない人。
そんな人たちと、どこかで繋がりたいのだと思う。
昔のパンクスたちにライブハウスがあったように。
市民運動に広場があるように。
私も小さな「場所」を作りたい。
何万人も集まる必要はない。
大きな組織である必要もない。
ブログを読んだ誰かが、
「私だけじゃなかった」
と思える場所。
それが作れたらいいと思う。
希望は待つものではなく、作るもの
私は最近、「HOPEPUNK」という考え方が好きだ。
現実を見ないふりをするのではなく、
問題を知ったうえで、
それでも人を信じ、
それでも希望を作ろうとする態度。
ドン・レッツの言葉を読んでいて、その精神とどこか重なるものを感じた。
誰かが助けてくれるのを待たない。
誰かが許可してくれるのを待たない。
完璧な準備が整うのを待たない。
まず自分でやってみる。
ブログを書く。
ZINEを作る。
学び直す。
働き方を模索する。
人と繋がる。
そして、ときどきリアルな場所で顔を合わせる。
世界は時々、かなり嫌な場所に見える。
ニュースを見れば不安になることも多い。
だからといって、ずっと踊り続けるだけではいられない。
でも、ずっと怒り続けることもできない。
私たちは休みながら、笑いながら、ときどき踊りながら生きていく。
ただ、その間も目だけは閉じない。
何が起きているのかを知ろうとする。
そして自分の手で何かを作り続ける。
それが今の私にとっての生存戦略だ。













