戦争は「巻き込まれたもの」だったのか— 私たちの言葉が社会をつくるとき —
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今日は、少し考えさせられる記事に出会いました。

朝日新聞の
「戦争支持の人々は何を願ったか」
歴史家・益田肇さんのインタビューです。

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発|朝日新聞

戦争というと、
国家が暴走し、人々は巻き込まれたもの──
そう理解されることが多いと思います。

でも本当に、それだけなのだろうか。

そんな問いを投げかけてくる内容でした。

益田さんは、少し異色の経歴を持つ研究者です。

新聞社勤務を経て渡米し、
日本語教師、短大、4年制大学を経て大学院へ進学。

もともとはフォトジャーナリスト志望だったという背景もあり、
政治や軍部だけでなく、
「普通の人々の感情」から歴史を捉えようとしています。

研究で用いたのは、
当時の人々の日記や手紙、新聞、雑誌への投稿。

それらを大量に並べることで、
同じ時代に生きた人々に共通する感覚やパターンを
浮かび上がらせていきます。

すると見えてきたのは、

戦争そのものを望んでいたというよりも、
別の感情や願いが、
戦争支持と結びついていたという姿でした。

特に印象に残ったのが、

「らしさ」の揺らぎへの反発が、
戦争や全体主義と結びついていったのではないか、という視点です。

大正期には、
女性の生き方や働き方が広がり、
「男らしさ」「女らしさ」といった規範が揺らぎ始めました。

その変化に対する違和感やいら立ちが、
社会の中に蓄積していく。

そしてその「引き締めたい」という欲求が、
国家の戦争や統制の論理と結びついたと考えられる、という話です。

つまり、

戦争があるから規範が強まるのか、
規範の揺らぎへの反発が戦争を後押しするのか。

その関係は一方通行ではなく、
社会と国家が絡み合う中で生まれていたのかもしれません。

この話は、過去のものではなく、
今の社会にもそのままつながっている気がします。

SNSでの何気ない一言や、
日常の会話の中の小さな言葉。

「日本人らしく」
「女らしく」
「男らしく」

そういった言葉が、
少しずつ人を縛り、
逸脱するものへのいら立ちを生んでいく。

そしてそのいら立ちは、

「外国人ちょっと嫌だな」

みたいな、
短くて言いやすい言葉として現れてくることもある。

その奥には、
不安や負担感、うまく言語化できない違和感があるのかもしれません。

でも、
そういう言葉が積み重なっていくと、

より強い言葉や、
過激な主張へとつながっていく。

その導火線は、
どこか遠くにあるものではなくて、

私たち一人ひとりの言葉でできているのかもしれない。

だからこそ、

「自分は関係ない」と切り離すのではなく、
少しだけ立ち止まって考えてみたいと思いました。

どうしてその言葉が出てきたのか。
その奥にあるものは何なのか。

小さな言葉の選び方が、
社会のあり方に少しずつ影響していくのだとしたら、

その一つ一つに、
もう少しだけ自覚的でありたい。

そしてもう一つ、印象的だったのが、
作家の雨宮処凛さんのコメントです。

当時、洋服を着ていた女性が
「お前のような女がいるから国防を危くするのだ」
と通行人から怒鳴られたというエピソード。

それまで個人的な「不快感」としてくすぶっていたものが、
「国防」という大義名分を得ることで、
正当な批判として表に出てくるようになった。

もしこれが今だったら、
何が槍玉に挙げられるのだろうか、と考えさせられました。

服装や髪型、娯楽、
あるいは「役に立たない」とされるものすべてが、
取り締まりの対象になるかもしれない。

そしてもう一つ怖いのは、
そうした「引き締め」に、
むしろ積極的に乗っかる人たちが現れること。

規律や管理、
「ちゃんとすること」を重んじる感覚が、
戦争や統制と結びついていく。

その構造に、少しゾッとしました。

▼今回紹介した記事はこちら▼

戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発|朝日新聞

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