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原爆を落とされた日が毎年やってくる。
日本はかわいそうな国、なのだろうか。
宮城県に住む祖父は今80半ばで、最近足が弱くなって歩きづらそうにしている。
祖父は戦時中、予科練生のパイロットだった。
数年前、祖父が行きたい鹿児島県の知覧というところに知覧特攻平和会館を訪れた。
そこには特攻隊に所属している人たちの特攻前夜の手記や遺品が展示されている。
私は全ての日本国民がこの特攻平和会館を一度は訪れてみるべきだと思う。
彼らが生きていた証をきちんと見て、いまある平和の尊さを噛み締め、
平和でありつづけるためにはどのような努力をすべきなのかを考え行動していく必要があると思う。
戦争をしたいと考えている人たちは国内にもいる
法律の解釈を変えて自衛隊をどんどん戦争で使えるように仕向けている人たちがいる
気が緩めば私たちの暮らしはあっという間にまた戦争に巻き込まれてしまうのだ。
加害者としての日本の歴史と向き合う必要がある。
また、私は原発を落とされてたくさんの人が亡くなり敗戦国となった「被害者としての日本」だけでなく
加害者として諸国で多くの人を殺害しひどい仕打ちをした「加害者としての日本」について知る必要があると思う。
例え今を生きる自分がしたことではないとしても、今日本という国で日本人として生きている以上、切っても切れない縁なのだと思う。
例えば旅行で訪れた外国が、かつて日本軍が侵攻してたくさんの人を殺害した歴史があったとき、「私には関係ないから」と言う人と現地の人は仲良くなりたいと思うだろうか。
現地の人は謝罪を求めているわけではなく、もう誰も理不尽に死ぬこともない平和な社会にするために、凄惨な歴史と痛みを共有したいと思うのではないだろうか。
私は、ワーキングホリデーで欧州やアジア圏の友人もできた。
かつて日本と戦争で戦った国の出身の人もいる。
彼らは日本人の私のことも快く受け入れてくれたし「僕らは新しい時代の人々なんだから、新しい世界を築けるよ」と言ってくれた。
でもそれは過去の歴史を無視するのではなく、過去の悲しい出来事を知って同じ過ちを繰り返さないように国同士、国民同士が学び、考え、互いを理解できるよう努力し合うことで成し得ることだ。
ソ連軍将校の相手をするよう命じられた黒川開拓団の乙女たち
ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白
あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き
敗戦とともに崩壊した「満州国」では、地獄絵図としか表現しようのないほど、飢えと暴力、そして絶望が蔓延した。孤立無援の満洲開拓団は次々と、集団自決に追い込まれていった。
そのとき、ある開拓団の男たちは、ひとつの決断を下した。現地の暴民による襲撃、ソ連兵による強姦や略奪から集団を守り、食料を分け与えてもらう代わりに、ソ連軍将校らに結婚前の乙女たちを「性接待役」として差し出したのだ。
黒川開拓団で結婚前の年の若い女性たちをソ連軍将校たちに性接待役として差し出したという話。
70年以上も経ち、被害に遭った女性たちが口を開き当時のことを語り残す決意をしたドキュメンタリーを観た。
日本人の男性たちに、みんなのためだから我慢して相手をしろと差し出された気持ち。痛ましい。
日本に戻ってきても口外することができず固く自分の心の中にしまっていたのだ。
以前、五族共和を掲げた満洲大の本を読んだ。
戦争下では、負けた国の女は勝った国の男たちに好き放題されるという描写があった。
嬲って、使えなくなったり面倒なことになれば殺される。
そこに人権や尊厳など存在しない。
覚えていてほしい、この日本という国の人たちは
自国の女性たちにこんなひどい仕打ちをしていたことを。
また、これからの未来に戦争であったり、国を揺るがす災害が起きたとき、
同じようなことを繰り返さないように私たちは歴史と向き合い、学び、声をあげ続ける必要がある。