
最近、「熾火(おきび)」という言葉を知った。
熾火とは、炎が落ち着いたあとも、静かに赤く熱を保ち続ける炭火のこと。
料理をするときも。
鉄を鍛えるときも。
勢いよく燃え上がる炎より、熾火のほうがじっくりと熱を伝えることがある。
私はこの言葉に出会ったとき、不思議なくらい腑に落ちた。
「ああ、私はこういう人になりたかったんだ。」
そう思った。
20代の私は、ずっと炎になろうとしていた。
誰よりも頑張らなきゃ。
評価されなきゃ。
正社員にならなきゃ。
結婚しなきゃ。
子どもを産まなきゃ。
社会が用意した「こうあるべき」に追いつこうとして、いつも全力で走っていた。
でも、思うようにはいかなかった。
仕事を辞めることもあった。
非正規雇用で働いた時期も長かった。
派遣社員、契約社員、アルバイト。
ホテル、ECサイト運営、接客業、水商売。
そして今は鍼灸師。
振り返ると、まっすぐな一本道とは言えない人生だった。
その中で、たくさんの理不尽も見てきた。
一生懸命働いても報われない人。
「代わりはいくらでもいる」と扱われる職場。
女性だからという理由で軽く見られること。
生活が苦しくても声を上げられない人。
働く人を守るはずの仕組みが、十分に機能していない現実。
だから私は、社会のことを書く。
女性の権利について。
働き方について。
政治について。
ニュースを読むたびに感じる違和感について。
それは誰かを言い負かしたいからではない。
私自身が、その社会の中で何度も傷ついてきたからだ。
昔は、この怒りを消さなければいけないと思っていた。
もっと穏やかな人にならなきゃ。
もっと優しくならなきゃ。
でも最近は少し考えが変わった。
怒りは、悪いものじゃない。
怒りは、「このままでいいとは思えない」という心の反応だ。
問題なのは、その熱を誰かにぶつけること。
でも、その熱を学びや行動に変えられるなら。
誰かを支える力に変えられるなら。
それは、生きるためのエネルギーになる。
だから私は、ブログを書いている。
アニメの感想を書く。
歴史を調べる。
本を読む。
患者さんの身体と向き合う。
AIという新しい道具を使って、自分の考えを整理する。
全部つながっている。
知ることも。
考えることも。
治療することも。
書くことも。
誰かが少しでも生きやすくなることにつながったらいい。
そんな気持ちで続けている。
自然に例えるなら、私は大木になりたいわけではない。
桜のように、一瞬だけ華やかに咲きたいわけでもない。
どちらかというと、森を育てるブナのような木に惹かれる。
落ち葉は土になり、土は新しい命を育てる。
一人では森はできない。
でも、一枚一枚の葉が木を支え、一本一本の木が森をつくっていく。
一人ひとりが、それぞれの葉として生きている。
その一枚を大切にしたい。
水で表すなら、私は泉が好きだ。
静かに湧き続ける泉。
誰かに見られなくても流れ続ける。
喉を潤し、命をつなぐ。
火で表すなら、私は熾火でありたい。
派手に燃えなくていい。
燃え尽きなくていい。
静かでもいい。
でも、確かな熱だけは失わない。
灯(ともしび)、という言葉が好き。
灯は、人の足元を照らす光。
このブログや発信活動は「昔、生き方に迷って泣いていた私が、泣かなくても済むように。」そんな気持ちで書いていた。
そして私の心には、熾火がある。
これまで経験してきた悔しさも。
非正規雇用だった日々も。
社会への違和感も。
弱い立場だったからこそ見えた景色も。
全部、私の中で静かに熱を持ち続けている。
それは誰かを焼くための火じゃない。
誰かを温めるための火だ。
そして、もう一度歩き出そうとする人のそばで、そっと燃え続ける火でありたい。
派手な炎にはなれなくてもいい。
私は今日も、熾火のように生きていく。
昔の私へ
このブログを書いている理由を聞かれたら、私はこう答えると思う。
昔、生き方に迷って泣いていた私が、泣かなくても済むように。
仕事が続かなくて、自分を責めた日。
非正規雇用という言葉に、どこか引け目を感じていた日。
「もう35歳なのに」と、世間の物差しで自分を測って苦しくなった日。
理不尽な職場で、「私さえ我慢すれば」と思っていた日。
そんな頃の私は、未来の自分が鍼灸師になっているなんて想像もしていなかった。
ブログを書き、本を読み、患者さんと向き合い、AIと語り合いながら、生き方そのものを探究しているなんて、もっと想像できなかった。
だから私は書く。
もし、昔の私と同じように、人生に迷っている人がいたら。
「こんな生き方でもいいんだ。」
そう思ってもらえるように。
社会はすぐには変わらないかもしれない。
理不尽も、差別も、なくならないかもしれない。
でも、人は変われる。
人生は、思っているより何度でもやり直せる。
私はそのことを、自分の人生で知った。
だから、このブログは誰かを論破するための場所ではない。
誰かを励ますためだけの場所でもない。
昔、生き方に迷って泣いていた私が、泣かなくても済むように。
そして今、どこかで同じように泣いている誰かが、「もう少し生きてみようかな」と思えるように。
私はこれからも、灯を掲げ、心の中の熾火を絶やさずに歩いていきたい。
人生には、「燃え上がる瞬間」よりも、「燃え続ける時間」のほうがずっと長い。
だから私は、瞬間的な情熱よりも、静かに続く熱を大切にしたい。
焦らず、比べず、自分の歩幅で。
誰かを照らす灯を掲げながら、その奥で熾火を絶やさずに。
そんな生き方を、これからも選んでいきたい。













