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気になっていた萩原慎一郎さんの歌集「
萩原慎一郎の短歌作品集『滑走路』いじめと非正規雇用を詠むfa-share-square-o
萩原慎一郎さんは2017年に亡くなっています。
最初の歌集である「滑走路」が遺作になりました。
萩原さんは中学校の時に野球部に所属し、いじめを受けたそうです。
その体験が原因で体調を崩し、大学を卒業後は契約社員として働いていました。
17歳から短歌に出会い創作を続けていて積極的に作って掲載誌に投稿していたそうです。
歌集「滑走路」ではいじめや非正規雇用についてや自身の苦い経験を詠んだり
同じように頑張る人の良いところを発見してスポットライトをあててあげるような歌もあり
萩原さんの歌を読んでいると人生は過酷で大変だけど、小さな幸せや素敵なことを見つけてあげればちょっと前向きになれるかもと思えました。
自身の歌集が刊行され、歌人としてここからというときに残念ながら亡くなってしまいました。
萩原さん、私も非正規職で働く30歳の女性です。
あなたのことは、亡くなった後のニュースで知りました。
いくつかのあなたの短歌を読み、非正規という仕事に就く人のむなしさを表現していて
少しあなたの気持ちが分かるような気がしました。
正規職・正社員という雇用形態はしっかりしていて、大変そうだけど格が上である。
反対に「自分にはそこまで責任の伴うことができない」という自信のなさであったり
自分の生活をもっと良くしたいけどそれができない状況で情けなくなったり、諦めのようなものを感じました。
私はこの非正規職労働者が感じるコンプレックスのようなものは
社会の構造も関係していると思っています。
努力して勉強をして良い大学を出て良い会社に正社員として働く人。
新卒切符をうまく活用できず退職し非正規職(契約社員・派遣社員・アルバイト)で働く人。
正規職で働く人には
「正社員として働いているのだから残業時間が増えるのは仕方ない」
「正社員として働いているのだから責任が多く業務量が多いのは仕方ない」と思わせ無理をさせる。
非正規職に就く人には「自分は努力が足りなかったから非正規職の枠から出れないのは仕方ない」と思わせ
低い賃金で働くことに文句を言わせないようにする。
正規職労働者
非正規職労働者
このヒエラルキーを超えられない壁にしようとしているものと考えています。
非正規職と呼ばれる労働者でも賃金が高く生活するのに困らずちゃんと貯金ができればこんなコンプレックスを感じる必要もないのにね。
悲しいけど現実として日本社会って男性は企業に自分を捧げて働き続ける人、タフな人を求めているし
女性に対しては結婚・出産で離脱するからそもそも人材を育てる気もないし責任の伴うポジションにもつかせない
こういう意識に固執しているから、どうしてもその世間体が決めた「こうあるべき形」にうまくはまれない人は社会から弾かれてダメな人、社会で通用しない人扱いされてしまうんですよね。
どうやっても這い上がれない社会の構造や世間体の風当たりの強さが苦しくて
生きづらさを感じていた時期が私もありました。
今はそういうしがらみをどうやって断ち切り、自立・独立していこうか試行錯誤の日々です。
新しいことをやっては転んで失敗していますが
燻っていた時期の自分に比べたら今の自分の方が好きなのでこれでも良いのかなと思っています。
萩原さんの歌集の生活について詠まれたものも素敵でした
自分は子どもじゃなくなったんだなという実感とか
でも日々の生活で好きな人と過ごして良いところを見せたいなとか、もっと色々な話がしたいなと思ったりするみずみずしい感情であったり
この騒がしすぎる東京のなかで頑張っている人が自分以外にもいるんだと、一人ではないよというエールも
もっと自分はできるはずだ。と信じてあげたい気持ちも痛いほどに理解できました。
すごく自分に近い人がいる。と思えました。
解説で又吉直樹さんが
萩原さんは人類が何千年も抱えていた問題を感度の高い萩原さんは当事者として背負っていた。
あらゆる形の暴力や社会の制度のことである。と書いていたことにすごく共感しました。
今も非正規雇用で働いている人もいるし
いじめや差別などを受けた傷を今も抱えて生きている人もいる
その抱えているものを短歌という形で自分のメッセージをこめて表現している姿が「背負っている」状態なのかなと思いました。
自分の傷や歴史、嬉しかったこと悲しかったことを創作の力に転換していくのってすごいことですよね。
「滑走路」が映画化され2020年11月20日に公開されました。