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放送大の「社会学の人間にとって貧困とはなにか」という科目があって
在校生じゃなくても入学前に全ての科目の第1回授業を聞くことができ、
そこでこの科目の授業を聞いて入学後も時間のあるときに聞いている。
この記事の目次
貧困とは。他者との比較によって出てくる主観的なもの
貧困とは他者と比較することで自分は足りていない、欠乏している、貧していると主観的に感じるものだという。
たしかに現代社会においてもSNSで富裕層の生活がいやでも目に飛び込んでくるのも、
富を持つ者と富を持たざる者をはっきりと分けて、持つ者は優越感が得られ
持たざる者は劣等感を感じるのも同じ構図に思える。
恐ろしいのはその富を持つ者が、持たざる者のその劣等感や這い上がりたい、一発逆転したいと思うすがるような気持ちを利用して自分のビジネスのカモにしているのを目にするときである。
この話題は少し置いておこう。
みんなが等しく貧乏だったから自分が貧乏でも気にならなかった時代
かつて、戦後の日本はみんなが自分と同じように貧しいから自分の貧しさが気にならなかったという。
高度経済成長や社会全体が豊かになっていくにつれて
家、車、服装、時計のような身なりに変化が生まれる…
他者が財を持ち、豊かである証拠が目で見て分かるようになっていくことで
自分にはなくて相手にはあるもの、何も持っていない自分が恥ずかしく情けなくなるような気持ちになっていく。
「欠乏状態でも幸せなら別にいいんじゃね?」って価値観はどうやったら生まれるのだろうか
自給自足で自分で食べるものつくって
雨風をしのげる家があって
家族や好きな人と過ごす時間を確保できて…
私は最低限生きていける環境で、その上で人間らしい社会生活送れたら幸せかなと思うタイプなんですが
それが他の人と比べて生活水準が低くても、心が満たされている状態ならいいのかななんて。
老後の病気や将来の不安を抱えてみんなせっせと働いて貯金して殖やすための努力もしてるけど
あの世にまでお金って持っていけないしね。。
世の中には将来への不安を煽るものでいっぱい
老後には2000万必要だという政治家
年金制度は破綻する、若い世代は年金はもらえないかもしれないという脅し
物価は上昇するのに賃金は微々たるものしか上がらない現実
不安定な雇用形態で将来に希望が持てず安心して過ごすことができない
賃金以上の業務量でこき使われて働く日々
一生懸命働いて稼げよ
自分で投資でも副業でもして殖やせよ
という社会からのメッセージがキツい。
絶望しかないんだけど〜〜〜〜〜
ということで這い上がるための努力は生存戦略秘密基地でやるとして。
貧困の基準
貧困という境目、基準って個人によって様々で
その線引きが行われていないのではないか?という話も出ていました。
これが特に貧困を社会問題にする難しさなのではないかと。
朝の紅茶にはこだわりたいと思うこと
着たい洋服(華美なもの)があると思うこと
支援者でもその貧者の
「生きるためにこれは譲れないポイント」
「人間らしく生きるために大事なこと」
これらを欲深い、わがままだと切り捨てていないだろうか。
貧者はわがままを言うんじゃない。
もらえるだけありがたいでしょ。
と私にも過去に思い当たることがあって、反省しました。
支援者が陥りやすい「貧者は欲を出すな」という支配
支援側が貧者に対して強欲になるな、わがままを言うな、望ましい貧者であれと思うのは支援ではなく「支配」になってしまうこと。
これは支援側の人間が自覚しなければいけないことだと思います。
それぞれ個人によって貧困の基準って異なるのだから
支援者側が「貧者はこのレベルの生活水準で十分」と勝手に決めつけて線引きするのではなく
貧者に寄り添ったものにしていくべきだし
社会の生活水準が上昇傾向にあるのなら、相対的に貧者のサポートする際に目指す水準も上げていくべきだろうとも思う。
自分にも他者にも厳しくなると、優しくないすさんだ社会になっちゃうよね。。
もがき、あがいてもついて回る「貧者」のレッテルに苦しんだ若者の事件を分析「まなざしの地獄」
授業の中では
差別社会 若者を絶望させた 見田宗介「まなざしの地獄」|好書好日
「まなざしの地獄」(1973年)
貧困の底から中卒で上京した少年(永山則夫元死刑囚)が市民4人を射殺した事件に向き合い、自由な存在であろうと願いながら果たせなかった一少年の実存を当時の社会構造に位置づけた名論文。少年の手記や社会統計の分析を通じて論考は、人を出自などで差別する都市のまなざしと、それを生み出す人々の「原罪性」に迫る。移民排斥問題に揺れる現代にも示唆的だ。73年発表。2008年、表題作として単行本化。
青森の貧困家庭で生まれたN・Nが中学校卒業後に集団就職で東京に上京しフルーツパーラーに就職。
一生懸命働いていたのだったが自分の生まれ・育ちがどうしてもついて回ることと、社会が自分を受け入れてくれないこと、そのはざまのなかでもがきくるしんでいたように思う。
「貧しい者は貧しいままでいろ」
「抜け出すなんて許さない」
というような社会の、そこに生きる人々の粘着質なまなざしが彼を孤独にしたのかなとも思う。