SNSで、男女に求められる役割についての投稿を読んだ。
男性には今も、家族を養えるくらい稼ぐことや、頼られる側でいることが期待される。
一方、女性には、仕事を持ち、経済的に自立することが求められるようになった。
でも、家事や育児、介護を担う役割が、それに見合って減ったわけではない。
役割を増やすなら、古い役割を降ろせる社会にしなければ、ただ負担が増えるだけではないか。
そんな趣旨の問題提起だった。私は、この視点に考えさせられた。
「稼ぐ責任」と「家庭を担う責任」
このやり取りの中で、「稼得責任」という言葉を知った。
生活に必要な収入を得て、自分や家族の暮らしを経済的に支える責任のことだ。
ここでは特に、「家族を養えるだけ稼がなければならない」という期待や重圧を指している。
男性には「仕事を優先して、一家を支えるだけ稼いでほしい」。
女性には「働いて収入を得ながら、家庭のこともきちんとしてほしい」。
こうした期待が重なると、男女ともに、働き方や生き方を選びにくくなる。
男性が育児や介護のために仕事を減らしたくても、収入を落とすことへの不安や、職場の理解の乏しさが壁になる。
女性が仕事に力を注ぎたくても、家庭の用事を調整する役割が自分に集中していれば、思うようには動けない。
これは、誰の苦労が大きいかを競うための話ではない。それぞれに課されている役割を見て、どこを変えれば暮らしやすくなるかを考える話だと思う。
家庭の負担を残したまま、仕事だけ増やさないでほしい
内閣府の男女共同参画白書でも、家事・育児などの負担が女性に偏っていることや、長時間労働の慣行が変わらないことが、女性の活躍や男女間の賃金格差に関わる問題として挙げられている。www.gender.go.jp
しんぶん赤旗に掲載された日本共産党の提言も、男性中心の長時間労働と、女性に偏る家事・育児負担の関係を指摘し、ケアを分かち合うための労働時間短縮を求めている。www.jcp.or.jp
「夫婦で協力しましょう」と言うだけでは、解決しないことがある。
帰宅が遅くなる働き方が当たり前なら、家庭で使える時間には限界がある。
保育や介護の支援が足りなければ、その隙間を誰かが埋めなければならない。
家族の中で話し合うことは大事だ。
でも、話し合いだけで、時間もお金も支援も生まれるわけではない。
家庭の負担を残したまま、仕事だけ増やさないでほしい。
そのためには、職場の働き方と、暮らしを支える制度も一緒に変える必要がある。
女性が働けることは、私にとって心強い
この投稿から派生して、「女性の社会進出を急ぎすぎたのではないか」という意見も見かけた。
準備や支援が足りないまま、女性に多くの負担を求めてきたのではないか。その問題意識は理解できる。
ただ、私は、自分で収入を得られることそのものを、後退させたいとは思わない。
私自身、働く場所を変えながら経験を積み、鍼灸師という資格を得た。
自分の技術や経験が、次の仕事につながることには心強さがある。
収入を持つことは、暮らし方を選ぶための土台にもなる。
誰かに経済的に頼る以外の道があることは、大切だと思う。
だから私は、「女性が働くようになったこと」と、「働きながら暮らせる条件が十分に整っていないこと」を分けて考えたい。
変えるべきなのは、働く権利を認めながら、家庭を担う責任を女性に偏らせ続ける仕組みだ。
古い役割を降ろせる選択肢を
男性が、収入の多さだけで価値を測られないこと。
弱音を吐いたり、支えてもらったりできること。
女性が、家事・育児・介護の最終責任者にされないこと。
結婚や出産を、当然果たすべき義務として求められないこと。
そして、育児や介護を担う人が、性別にかかわらず、生活を壊さずに仕事を調整できること。
そのためには、生活を支えられる賃金、労働時間の短縮、使いやすい休業制度、保育や介護サービスの充実が必要だと思う。
家事や育児、介護は、誰かが担わなければ暮らしが成り立たない仕事だ。その時間を持てるようにすることも、社会の大切な課題ではないだろうか。
「もっと働いて」「家庭もちゃんとして」と求めるなら、そのための時間と支えも用意してほしい。
私は、自分の仕事を持つ心強さを大切にしながら、仕事も家庭も一人で抱え込まなくていい社会で暮らしたい。













