こちらのページはアフィリエイトリンクを使用しています。
2020年初めからコロナ危機で2021年の今に至るまで、ウイルスに感染しないように制限した生活をしている。
国外逃亡戦略で海外で生きるためにいろいろ調べて、できることを準備している。
しかしそれとはまた別に
「私は日本でもできることがあるんではないか」
「海外にまた行く前に、日本でやるべきことがあるんではないか」と思うようになってきた。
2018年にワーキングホリデーでオーストラリアに1年滞在していたとき、実はうっすらと私は日本でやり残していることがあるような気がしていた。
むこうでの生活はとても新鮮で、とても自由で、冒険をして、とても楽しかった。
常に家族の問題を気にしていたし、日本の社会が不安定で悲しい事件が起こるたびに心を痛ませていた。
海外に思い切って飛び出して、逆に自分のやるべきことが少し見えてきたように思った。
私は日本が嫌いで早く国から飛び出して幸せになりたかったのではなく、日本社会にもっと良くなってほしかったことに気づいた。
こんな悲しいことばかりで生きづらい日本にいるくらいなら国を見限って自由に暮らせる、息のしやすい場所に行ってしまおう。
自分一人や大切な人だけ安全な場所にいければいい、自分だけ幸せになれればそれでいいと思っていた。
心では「どうして日本は住みにくいままなんだろう。どうして変わってくれないんだろう。」と思ってた。
自分で社会を変えることをしようとしないで、もうすでに出来上がっている「住みやすい環境」に行くことばかり考えていた。
私は日本社会に対して変化のためのアクションを起こしたことがあっただろうか。
問題の原因である日本社会を変えることをはなから諦めていたんだと思う。
そのことに気づけたのが、私のワーキングホリデーでの一つの成果だったのかもしれない。
私が頑張れば海外でも生きていける。きっと叶えることはできる。
でも、日本でも自分が生きやすい場所を探したり創ったりする努力をもうちょっとしてみても良いんじゃないのかな?って。
日本でもできることってあるんじゃないのかなって。
この記事の目次
個人の人生は、社会と無関係ではいられない
最近の私はといえば今はガツガツ働かず、余暇の時間は興味のある分野を放送大学で授業を受けたり、本を読んでいる。
世間でいわれる成功を得るための勉強というより、自分の心や内側のための勉強のようなもので、学生時代は試験のために興味のないことを無理くり詰め込んで覚えていたような苦痛を伴う勉強ではないため、心が満たされ豊かになっていく感覚がする。
日本社会と自分のこれまでの人生の関係を考えると、
私は日本社会の落とし穴にうまいことはまって転びながら生きてきたように思う。
そもそもの環境が格差社会における貧者であったり、就職に失敗してつまずいたり、雇い止めにあったり、水商売をしたり、経済的な負担を軽くすることを目的に急いで恋愛をしていたりとか…
そういうのって「個人の選択による自己責任だろ」「自業自得だろ」と言われやすいとも思うのですが
個人の選択って、選ばざるをえない環境とか社会的背景があるとも言えると思うのです。
深く考えてみると、社会の仕組みにからめとられて落とし穴やぬかるみにはまってしまっているようにも思えるんですよね。
Twitterなんかで自分の話をしていると同じような穴につまずいてる人も多いことも知りました。
だから「あ、私一人がバカで選択をミスったというより、そもそも社会にトラップが多いんだ。」と気づいたんですね。
たとえば私が1990年生まれで、女性で、シングルマザーの家庭に育って、貧困〜中流階層で、首都圏に住んでいて、ほどほどの大学卒業で…
属性やカテゴリで自分を見ていったりすると、社会のトラップにはまりやすい属性でもあったのかな、とも考えられますよね。
自分の今置かれている状況をすべてを社会のせいにはしないけど、社会と無関係ではないと思う。
そんなわけで、少し自分の人生と社会の問題を関連づけて少し考えていこうと思う。
2013年 大学卒業して就職失敗。落とし穴にことごとくつまずく。
私は2013年に大学を卒業して、就職したがあまり会社員生活に馴染めず早々につまづいた。
もう少し詳しくいうと、職場の女の園でのギスギスしたとことに社会人のスタートの初っ端から放り込まれて成す
日本の労働社会では一度転ぶと社会はなかなか普通のレールに戻ることを許してくれない。
さらに女であることハンディはあっという間に非正規雇用の道まっしぐらになりやすい。
大卒というプレミア切符も、社会の景気のタイミングによってはなんの効果も出ない。
一度使ったら一気に価値も下がってしまう。
日本の労働社会は履歴書の職歴が多くなればマイナスになってしまう。
その個人が何をしたか、何ができるかではなく
どこの学校を卒業していて、どこに何年勤めたかをいつまでも重視される社会なのだなと思った。
企業が優秀な学生を囲い込むため「青田買い」する文化があり、学生たちもそれに合わせてどんどん就職活動が前倒しされてせっかく学問を修めるために大学に入学したはずが勉学が不十分になってしまっている。
海外の大学生は卒業後すぐに就職はしない。大学卒業後に世界一周したり、ボランティアや色々な経験をして自分の人生が豊かにするための時間をとる。
「学生が学生らしくいられる時間」を日本社会は奪っているのではないだろうか。
日本でもITエンジニアなどは転職回数はマイナスとは見られない職種もあるが、転職回数の多さで求職者をジャッジする風潮は何も良いことはない。
海外では職歴の多さよりも何ができるかを重視される。
日本の就職・転職についても、受け入れる幅が広くなってほしいと思う。
2014~2016年 昼職+夜職のWワークでも豊かになれない。ドツボにハマる時代。
2015~17年までは昼職+夜職のWワークでやり過ごしていたが結局ストレスで散財してしまったりとなんのために働いているのか分からない、ドツボにハマってしまった生活を送っていた。
結婚相手になるような男の人を探し求めたり、刹那的な恋愛に走ったりと、それできっと幸せになれるはずと世間で言われているようなものを求めてみたけど、たとえ恋人という関係になれたとしても自分の隣にあるスキマをちょっと埋めているだけの間に合わせのものであり、心はどこか空っぽで、惨めだった。
なんとなく直感的に「この日本の労働社会では女はどうあがいても賃金をあげることはできない、経済的自立が難しいため、男性と結婚して経済的なレベルを引き上げた方が生き残れるのではないか」と感じて焦っていたように思う。
だから付き合う相手が多少モラハラちっくでも、不誠実でも「そこだけ我慢すれば、目をつむればうまくいく」と自分を納得させられたのかもしれない。
家賃と生活費、そして月々の奨学金の返済、、支払いを終えてしまうとお金がまったく手元に残らない生活でした。
昇給なんてしない。なんか生きてるだけでやっとの生活。やりたいこともできない。
どうしてこんなに賃金は低く据え置かれているんだろう?
みんながそれを当たり前だというけど、こんなぎりぎりの死なない程度に生かされる生活。将来に希望なんて持てるわけがない。
経済的負担を軽くするために結婚を選びそうになった
今考えれば女性一人でも十分な収入を得ることができるのなら、経済的な理由のために無理して相性の合わない異性と付き合って結婚を望むことなどないのではないか。
ちゃんと女性一人でも稼いで食っていける条件がそろった上で一緒にいたいと思える人と対等な関係を築いて結婚をしたり一緒に暮らした方が
経済力によるパワーバランス、上下関係もなくなって健全な関係が構築できるのではないだろうか。
悲しいかな、この女が一人で生きられない仕組みは、私たちの母や、祖母、もっと前の世代からずっと続いてきたものだ。
たとえばうちの母はまさに家父長制に苦しめられていた女性だった。
結婚した父からも、再婚した義父からもDVを受けた。
母がそれらに堪えた理由は、子どもである私と兄の生活を守るためだった。
女ひとりの稼ぎで十分に子どもを育てられる社会だったら多分母は再婚も選ばなかっただろうという。
時代の、仕組みに人生をからめとられてしまった犠牲者だと思う。
母のような女性はとても多い。
私たち若い世代は、女性のロールモデルを自分の母親くらいしか知らないのは不幸なのではないだろうか。
結婚して家庭に入り、夫の家政婦のような女性。
きっともっと、いろんな生き方があって良いはずなのだ。
男性と結婚すれば一人前だとみなされ、ちゃんとした保障が受けられる。
私たちは生活レベルを引き上げるために結婚を選ばされているのだろうか?だとしたらそれば不幸な選択なのではないだろうか。
例えば養育費を払わない父親に対して泣き寝入りせずに済んだなら。
そもそも女性が一人でも子どもを産み育てられる社会が整っていたなら。
女性の収入が十分にあったなら。
私の母は経済的負担を解消するために再婚を選ばなかっただろう。
私の子ども時代
私の子ども時代について少し話したい。
母が父からのDVをきっかけに私と兄を連れて別居をし、小学2年から中学入学頃まで、数年間母がシングルマザーで頑張っていた時期がある。貧乏だった。
小さな平家で、お風呂場が別の離れにあった。
その風呂場には虫がたくさんいて、ガスの元栓を開けようとする壁の隅にいる虫がピョンと跳ねるので一人でお風呂に入るのが怖かった。
同級生に「お前ん家、忍者屋敷みたいだな」と言われた。
当たり前に塾に通う同級生たちが羨ましかった。
家庭ごとの所得差、経済格差が子どもの学歴、ひいては社会的地位につながる。
早いうちから子どもの教育にお金をかけられる家庭は、強い。一族が繁栄していくのがわかる。
貧乏人は、負の連鎖に陥りやすい。
私の母は少しでも経済的負担を軽くし、私や兄を大学まで卒業させるために、当時お付き合いしていたけれど気持ちが冷めて別れようと考えていた男性に再婚を持ちかけられて承諾した。
義父は連れ子の兄や私には興味もなく、母を義父のご機嫌取りの家政婦として差し出す代わりに屋根のある家で暮らすことができる。
さながら私は寄生虫のようであった。
すぐ機嫌が悪くなる子どものような義父の機嫌を伺ってやりすごす母を見て私は
どうして母は愛もないのにこんな人と再婚したのだろう
私は母のお荷物なのだな
と感じていた。
2013年の大学卒業間際、義父の母へのDVが深刻になり急いで別居して離婚をした。
私も兄も2人とも働くようになる、母は頑張り抜いた。耐え抜いて解放された。
男に媚びなくてもいい。大企業に勤める義父の収入より私や兄のは低くて、ちょっと貧乏にはなるけど贅沢しなければ大丈夫。3馬力ならなんとかなる。
母の人生は自由になった。
頑張ってくれた分、残りの人生を楽しんでほしい。できなかったことをいっぱいしてほしい。いつも願っている。
親の経済力によって子どもの人生は左右される。
せめて教育の機会は均等に、そして貧乏人でも優秀な人ならチャンスがつかめるのではなく、すべてのこどもたちに対して可能性を広げるチャンスを与えてほしい。
2017年地方出稼ぎ時代。一度枠からはみ出すと、人生が動き出す。
2017年、報われない恋愛に終止符を打って、ワーキングホリデーにいくための貯金をする決意をし、地方のホテルに住み込みで働くリゾートバイトを始めて物理的に東京を離れたことはすこぶる自分の精神に良かった。
知らない土地、知らない人、新しい職場。
全てをリセットして人生を生き直すことができる感じがした。RPGゲームの冒険のようだった。
東京ではあまり出会わないようなタイプの方とも会って、良かった。
派遣社員として働いたのも社会勉強になった。
非正規雇用・派遣スタッフとして、ヒエラルキーの下層の労働者のつらさなども感じる場面が多かった。
労働搾取にあって自分で調べて少し闘ったりもした。
激務で必要がなくなったら簡単にお役御免になるのに、人間として扱われないんだな〜なんて感じた。
でも地方での出稼ぎ仕事は実家から離れて自分のことを自分で面倒を見る経験をできたのが良かった。
「自分のケツを自分で拭ければ、ある程度自由に過ごしてもいいんだな」と思えた良い時間だった。
この感覚が得られたのは人生にとって良い影響を与えたと思う。
それまで私は大卒で就職失敗して社会不適合者でやりたいこともいまいち見つからないし仕事も続かない。
高校までわりと世間のちゃんとした安全な道を歩んでいた優等生のつもりだったし就活だってちゃんとやったつもりだった。
でもうまくいかなくて、「ちゃんとした社会人」になることができない自分がつらかったのだ。
そして普通に勤めることに魅力も感じられないでいた。何かもっとやりたいことがあるような気がしていた。
当時の私には、選択肢があまりに少なかったのと、「普通」とは違う選択をすることが危険であると考えていたように思う。
今思えば、普通ってなんだよ、って思うんだけど。
もはや一生勤めあげられる企業の方が少ない。自分の一生を保証してくれるものなんてありはしないのに。
人と違うことをすることが興味があるのに怖かったんだなと思う。
正社員を減らして、景気のいいときは派遣社員を雇う。
景気が悪くなれば使い捨てを行う。
この国は労働者を簡単に導入したり切り捨てができる大企業に優位な改革を行なって、労働者を守る気などさらさらないのです。
破たんした小泉「構造改革」 社会と国民に何もたらした 貧困と格差 際限なし|しんぶん赤旗2009年2月2日
2018年 ワーホリで一人で海外へ。思う通りに生きていいのだ。
2018年5月、晴れて目標金額まで貯金してワーキングホリデーでオーストラリアに渡って西の都市パースに1年間滞在した。
オーストラリアでは私はただの外国人で、芝生で寝転がって昼寝をしてても、ミニスカートをはいて道を歩いても、何をしても誰も私のことなんて気にしないし気持ちがよかった。
日本だったら、「はしたない」「脚が太いのにミニスカートだなんて」と聞こえてきそうで周りの人の目を気にして控えることでも、外国なら別に普通で、大したことがない。
オーストラリアだったら、自分がやりたいと思ったことは不思議なパワーが湧いてきて実現できるような気にさえなった。
とてもアクティブでクリエイティブになれた。あれもこれも、思い描いたことを形にできそうな気がした。
2019年 本帰国し「私が本当にやりたいことって、何なんだろう?」と模索
2019年にワーホリを終えて帰国し、アジア就職を考えてタイ・マレーシア・フィリピンに視察に行った。
英語力・専門力の低い日本人でも、入り込める余地や需要があるのだと分かって選択肢の一つとして持っておこうと思った。
本帰国して貯金と勉強のためリゾートバイト再開。
外資系のホテルで英語を使いながら働くことができ、満足していた。
2020年 コロナ危機により失業。身動きできないからこそ、自分や社会と向き合う時間になった。
2020年1月、コロナウイルスの発症が確認され世界的に感染拡大。
みるみるうちにインバウンドの予約が減り、シフトが激減し派遣スタッフはお役御免となる。
実家に戻って近所のスーパーの仕事で食いつないで事態の収束を待ったが深刻するばかり。
日本は愚かな為政者がトップが利権のために「Gotoトラベル」などといった人の行き来を促すような施策を打ったり
感染拡大中にもかかわらず利権のためにオリンピック・パラリンピックを強行し感染を爆発させることになる。
海外への渡航なんか、夢のまた夢。
一般市民が普通に安心して渡航できるようになるのは何年先になるやら。
あちこち行けない、あれもこれもできない今だからこそ、
これは立ち止まって考える時間なのかもしれないと思うことにして
興味のあることを勉強したり市民活動に参加することにした。
地区の政治家の方と話したり、勉強会に出てみたり、NPOでフードバンクのボランティアをしてみたり。
自分の個人の生活(仕事・家庭・友人など)の範囲から少しもっと外側にある社会に関わりを持つことで
日本のなかで起きている問題について身近にとらえることができたし
自分の日常生活の小さなことがつながっていることを想像しやすくなった気がする。
政治や社会のことが
自分はそのようなものとは無関係だと思っていたけど、社会の不条理に遭遇したときに「自分はこんなにも簡単に弱者になる」と思ったこともある。
今自分が搾取されたり、苦しい思いをしていなくても、他者の痛みを想像する力がこの社会には必要なんじゃないかと思う。
日本国内においても、気軽に移動ができない。
海外への渡航も、国内も海外もウイルスで落ち着かない今では叶わないし、無理に渡航しても世界中が混乱している今トラブルに巻き込まれる危険の方が高いように思う。
日本に居なくちゃいけない。
そもそも私の日本の嫌いなところってなんだろう。
私は海外にいるときも家族や友達が暮らす日本のことを心配していた。
悲しいニュースを見るたび胸を痛ませていた。
早く日本に帰って、せめて母や家族、大切な人だけでも守れないかと考えていた。
「私はそういうことと無縁で海外で幸せに生きることもできるけど
私が本当に求めていることって、日本社会が変わってくれることなんじゃないのかな」
そのことになんとなく気づいていた。
本当の欲望、みたいなもの。
ただ、ネット上で声をあげることしかできなくて、どう行動したらいいかがわからなかった。
まずは自分が経済的に自立を果たして、力をつけて自分の理想の世界を小さくてもいいから創りたいと思う。
ここまで自分の人生を犠牲にしてまで私たちを守ってくれた母と、大切な人たちが幸せになれる場所をこの手でつくりたい。私の野望だ。
これは個人レベルでできることの話。
そして社会に対しても、微力ながら少しずつアクションをおこしていきたい。
弱く、自分に自信がなく、社会で生きていく武器も知識もなく自分を痛めつけて泣いていた頃のかつての自分のような子を救うための
どこかで私が置いた
そのために、せめて胸を張って、私はやれることをやったんだと言いたい。
ご報告できるようにがんばりたいと思います。
まずは心と体を大事に、生き延びましょうね。