Xで、働く人を安い給料で長く働かせ続ければ、その人たちが商品やサービスを買うお金もなくなり、結局は経済が回らなくなる、という趣旨の投稿を見かけました。
その返信で紹介されていたのが、イソップ寓話の「金の卵を産む鵞鳥」。
このたとえが、とてもしっくりきました。
ただ、私が感じたのは「鵞鳥を殺してはいけない」という、これからの戒めではありません。
もう首を絞めて、殺してしまった。その結果が、今の社会なのではないか。
そんなことを考えました。
「金の卵を産む鵞鳥」は、どんな話?
ある人が、毎日ひとつずつ金の卵を産む鵞鳥を飼っていました。
その人は卵を売って、豊かになっていきます。ところが、次第に一日ひとつの卵では物足りなくなりました。
鵞鳥のお腹の中には、もっとたくさんの金があるのではないか。それを一度に取り出せば、もっと早くお金持ちになれるのではないか。
そう考えて、鵞鳥を殺し、お腹を開いてしまいます。
けれど、中に金はありませんでした。鵞鳥は死んでしまい、翌日からの金の卵も手に入らなくなりました。
目先の欲に駆られて、富を生み出す源そのものを失ってしまう。そんな寓話です。www.read.gov
働く人の給料は、誰かの売上になる
企業にとって、賃金は経費です。
ひとつの会社の帳簿だけを見れば、人件費を抑えることで、目先の利益が増える場合もあるでしょう。
でも、働く人は、仕事が終われば生活する人になります。
スーパーで食料品を買い、服を買い、美容院に行く。外食をする。音楽や映画を楽しむ。体のケアを受ける。
働いて受け取った給料は、そうした暮らしの中で、別の誰かの売上になります。
ところが、家賃や光熱費、食費を払うだけで精いっぱいになれば、それ以外の支出は削らざるを得ません。
行きたかったお店に行かない。欲しかったものを買わない。受けたかったサービスを諦める。
ひとつの企業が削った人件費は、別の企業にとっては、お客さんが使えなくなったお金でもあるのです。
しんぶん赤旗の2025年7月18日付の論説でも、賃上げによって消費を支え、内需を中心とした経済成長につなげるという考え方が示されています。www.jcp.or.jp
日本経済の停滞には、いくつもの要因があります。それでも、働く人の所得を抑えながら、商品やサービスが売れることを期待する。その矛盾は、もっと問われていいと思います。
首を絞めたあとで「なぜ卵を産まない」と言う
安く、長く働いてほしい。
少ない人数で、もっと多くの仕事をこなしてほしい。
経験や技術を身につけてほしい。でも、給料はできるだけ上げたくない。
そうやって働く人に負担を寄せ続けたあとで、「人が足りない」「人が定着しない」「商品が売れない」と困っている。
私には、鵞鳥の首を絞めて殺したあとで、**「なぜ金の卵を産まなくなったのか」**と嘆いているように見えます。
働く人が、働く力と買う力の両方を持っていることを忘れてしまったのでしょうか。
給料を削っても、生活するためのお金が減るわけではありません。人員を削っても、必要な仕事が消えるわけではありません。
削られた分は、誰かの我慢や疲労、諦めによって埋められていきます。
それを「効率化」や「企業努力」と呼んできた場面も、あったのではないでしょうか。
失われたのは、お金だけではない
低い賃金と長時間労働によって失われるのは、買い物に使えるお金だけではありません。
休む時間。学ぶ時間。友人に会う時間。家族や身近な人を気にかける余裕。地域の活動に参加する機会。
生活を維持するだけで精いっぱいになれば、社会に関わる力も小さくなっていきます。
本当は興味のある講座があっても、受講料を払えない。参加したい集まりがあっても、仕事が終わる頃には疲れ切っている。体の不調があっても、時間やお金を気にして後回しにしてしまう。
そうした日々の積み重ねを、本人の意欲や自己管理の問題だけで片づけたくありません。
働く人の余裕を削ることは、その人が社会の中で生きるための力を削ることでもある。
私は、そう思います。
人手不足を語るなら、これまでの扱いも問いたい
人手不足にどう対応するかは、必要な議論です。
でも、その前に、今まで働いてきた人たちをどう扱ってきたのかも、問われるべきではないでしょうか。
十分な賃金を払ってきたのか。安心して休める職場だったのか。経験や責任に見合った評価をしてきたのか。人が辞めたとき、その理由を本人の都合だけにしてこなかったか。
採用する相手が変わっても、待遇や働かせ方が変わらなければ、同じことが繰り返されてしまいます。
必要なのは、人が働き続けられる条件を整えることです。
賃上げが難しい中小企業などへの支援も含めて、個々の職場だけでは解決できない問題に、社会として取り組む必要があると思います。
人間は、利益を生むために飼われている存在ではない
ここまで鵞鳥の寓話に重ねて書いてきましたが、このたとえには限界もあります。
働く人は、金の卵を産むために飼われている存在ではありません。
その人自身の人生があり、生活があり、尊厳があります。
「大切にしたほうが、長い目で見れば儲かるから」という理由だけで、待遇をよくしてほしいわけでもありません。
利益につながるかどうかにかかわらず、働く人が健康に暮らせること、生活できる賃金を受け取れること、安心して休めることは、守られるべきだと思います。
人を大切にするかどうかまで、採算だけで判断される社会には、したくありません。
もう殺してしまったのなら、何を取り戻すのか
「金の卵を産む鵞鳥を殺してはいけない」
その教訓を、未来への警告として語るだけでは足りないと感じます。
すでに働く人の暮らしは削られ、買いたいものを諦め、やりたいことを後回しにしている。余裕を失った人たちに、さらに働くことや消費することを求めても、応えられるはずがありません。
もちろん、社会は寓話とは違います。私たちは生きているし、制度も、働き方も変えることができます。
だからこそ、これ以上絞り出そうとするのをやめて、削ってきたものを取り戻す必要があります。
所得を。時間を。安心を。自分の人生を選べる余地を。
私たちは、働く人であり、買う人であり、社会をつくる人でもあります。
そのつながりを壊しておいて、経済だけが元気になることを期待するのは、あまりにも都合がよすぎると思います。
今必要なのは、もっと金の卵を産めと迫ることではありません。働く人の暮らしを、立て直すことです。













