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我が家は母(58)・兄(33)・私(30)の三人暮らしである。
最近、引っ越しをしまして。
神奈川県内で市をまたぐ引越し。(川崎市→横浜市)
私は地元は宮城県仙台市で、15才から母が再婚した義父の転勤にくっついてくる形で高校入学から川崎で生活している。
再婚した義父の母への束縛が強まり、ついに暴力をふるうようになったため
私が大学を卒業する直前に大慌てで家を見つけて引っ越すことになった。
当時お付き合いをしていた不動産屋勤務の彼の助けもあって家を見つけ、3人の貯金を合わせて保証会社に加入し(働いていないと物件を借りるだけでも身元が保証できず大変な目に遭うとこのとき初めて知った)
なんとか賃貸マンションに移り住み、そこに8年近く住んだ。
川崎は都内にアクセスもよかった。
私は大学も都内の学校で、卒業後は都内にある企業で働くことが多かったため
川崎は便利だなと思っていた。
兄も母も都内に簡単にアクセスできるので川崎での暮らしは悪くなかったと思う。
仕事だって(選り好みしなければ)たくさんある。
しかし貧乏ワープアOLの給料とお金の管理スキルが乏しかった私にとって都内OL生活というのは
そのちょっときらきらした肩書きのみで将来の展望もなくジリ貧すぎて消耗するばかりだった。
「東京でOLやるってこんなものなのか?」
「希望がねえな」
というのが本音。
そこから求職者支援訓練でWEBデザインを学んだり、ワーホリに行こうと決意し貯金のためにホテルに住み込みのリゾートバイトをしたり、
実際にオーストラリアに行ったりアジア就職を考えてタイ・マレーシア・フィリピンを訪れて視察をしたり。
この数年間は自分にとって大冒険だった。
自分で考えて選択し、自由だが結果も自分に返ってくる。うまくいかない場合にも自分で責任を負う。
人生において素晴らしい経験だった。
帰国後またリゾートバイトでホテルの仕事をしている時にコロナパンデミックが起こりホテルの仕事がなくなり
実家に引っ込んでスーパーで働きながら勉強をしていた。
東京で働くことに魅力を感じなくなった私はコロナ禍で失業した母に
「少し郊外に引っ越して家賃を下げて生活費の負担を軽くしよう」と持ちかけた
母も私もコロナで減収・失業して住居確保給付金を利用したり、大家さんに交渉して一定期間家賃の減額に成功した。
いま家賃の負担が少ないうちにより家賃が低いところへ引越しをすれば長期的に見れば少し楽になる。
ということで引越しを決意し物件を決めてからやることがいっぱいで慌ただしい日々を過ごしていた。
引越しも済み、山ほどあるダンボールの荷ほどきをしている。
ものが多すぎて終わらない。
なんとか家族をそそのかし説得し、横浜移住に成功した。
引越しをしてよかったなと思うのは今回の引越しは私と母でほぼ全ての手続きを行ったこと。
兄が仕事を理由に非協力的だったので母と私でなんとかするしかなかった。
物件の契約、引越し業者、退去のための不動産屋とのやりとり
ガス・水道・電気の利用停止や開通
区役所での住民票の届出
細かいことも本当に色々やってくたくたになった。
しかしこの煩雑な引越しイベントをやり遂げたことで私と母には「困難なことがあっても協力すれば乗り越えられる」という自信が得られたように思う。
私の母は「子ども二人を育てるための経済的な負担を解消するために男性との再婚を選んだ女性」だった。
経済的にも、生活の小さな場面でも「男性をヨイショして自分が我慢すれば万事がうまくいく」という考え方を持っていた。
しかし義父とも離婚し、貧乏ながらに男性に拘束されない生活をエンジョイしている母が今よく口にするのは
男なんていなくても自分で生きていけるようにならないと!と実践するようになったことである。
例えば引っ越して新居の水道の蛇口の形が異なるため、前の家で使っていた浄水器を設置するにも部品が足りなくてどうしようか?と思っていたら
「んーーーーー私、メーカーに問い合わせて聞いてみる!」と言い出した。
「(兄の方がこういうことに詳しいから)お兄ちゃんに頼んでなんとかしてもらおうよ〜」と以前の母なら言い出しかねなかった。
自分でやってみる!という姿勢を見せるようになったのだ。
私は自分の母が
「困難な場面では男に頼らなければいけない」
「自分は男性よりも頭脳や肉体的な能力が弱い」
という発想から脱却しているように見えた。
後日、母はメーカーに問い合わせて部品をゲットし
自分で取り付けて私にこう言った。
「できた!できたよ!」
「男がいなくても生きていける!!大丈夫!」
「頼らなくても生きていけるようになれば媚びなくたって良い!男をヨイショしなくたって良い!」
さらなる自信を得て勇しかった。
たかが水道の蛇口の部品なのだが、母にとっては失った自分の自信を取り戻すために大事なことだったのだと思う。
自信を取り戻すために必要なのは知恵と勇気。
そして「やればできる」と自分の可能性を信じてあげることなのだ。
母親の生き方は良くも悪くも娘に影響する。
私は母が虐げられながら、我慢しながら兄や私を育てるために頑張ってくれたことも否定しない。
母なりの生存戦略のための手段だったのだと思うし。
だからこそ、これからの人生はなるべく自由でいてほしい。
誰かに媚びたり、虐げられたり、自分の尊厳や心の大事な部分をすり減らしながら生きてほしくない。
人生を生き直してほしい。
母は私にとって母親であるがいろんなことを話せる良き友人でもある。
一緒にいろんなことをチャレンジして成長し喜びを分かち合いたいと思う。
今度この本を読んでみようと思う。
妙齢の女性たちがシェアハウスで暮らす物語らしい。