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あなたにとって2020年はどのような年だったでしょうか。
今現在も進行中ですが新型コロナウイルスで計画が崩れたりして思う通りにいかなくてつらい思いをしている人も多いかもしれない。
私もわりとそう。
ワーキングホリデーから帰国して
「また海外に出たいな、どんな国で、どんな自分でならやっていける可能性があるだろうか」と
アジア就職(マレーシア、タイ、フィリピン)を考えて候補地を視察に訪れてみたりして。
でもその間、海外で新しい生き方を模索することとは別にもっと自分が本当にやりたいことや向き合わなければいけないことがあるような気もしていた。
視察を終えてまた軍資金を稼ぐために地方のホテルに住み込みで働くリゾートバイトで働いているときに2020年初めにコロナ危機で失業した。
実家に戻り、親知らずが悪化して口が開かなくなり病院に通ったり、猫が引きつけをおこすようになり昼夜その対応で睡眠時間が短くなって気が滅入っていた。介護を早めに体験したような感じだった。
2020年はそういう不調であったり不幸なものが凝縮して降りかかってきた。
日々のストレスで自分のことを大切にすることができなくなっていた。
他国のNZや台湾ではしっかり感染拡大が抑えられているのに
日本では収束する見通しも立たない新型コロナウイルスの感染状況、政府への苛立ちもある。
このコロナ危機で、日本が抱えている問題が一気に悪化して吹き出してきたように思える。
非正規雇用、外国人差別、DV、貧困、性差別、、
ギリギリの状態であったものが、コロナが決定打となりコップの水から一気に溢れ出ているようだ。
でもこれはコロナウイルスだけが悪いのではなく、この社会の欠陥がすでにあったこと。
きちんと向き合い対応をして改善していく必要があるものを放置していたためにコロナウイルスでさらに大変なことになってしまったんだと思う。
社会の問題がぶくぶくぶく!とあちこちで溢れ出て「状況悪化待ったなし」状態なわけですね。
ニュースでその悪化していることを知り、対策が間に合っていないことなども見ると心が本当に重たくなります。
自分一人ではどうにも変わらないこと(政治、社会、世界規模で抱えている問題)に対して怒りのパワーを維持していると
自分の個人の人生が充実させられなくなってしまう。
だから言及もしない、思考をストップさせて自分の人生や目の前の生活に集中している人も多いだろう。
「見たくないものを見ないで無視して過ごす」のも快適な人生の生き方だとは思う。
でも私は自分が個人の人生も充実させるパワーと、社会を少しずつ変えていくパワーをうまく両立させていきたい。
見ないふりして生きていても、結局個人が直面する問題って総じて社会の構造の欠陥によるものだったりするもの。
見ないふり・知らんぷりするんじゃなくてどうせなら問題と向き合い、改善のために声をあげて行動する一人になりたい。
でも悲しくて深刻で見ているのもつらくなるようなニュースが多くて気が滅入るのもわかるし
情報をキャッチする自分の器がキャパオーバーになりそうになるんですよね。
そういうときは無理してしんどい情報を摂取しなくても良いと思うんです。自分の心と体を守るのを最優先で。
まずは自分の人生を思い切り生きて幸せになろうと思って良いんです。
そして心が元気になって、「他の人のために自分のパワーを使って何かしてあげたいな」と思えたときに何かできることを探して行動してみれば良いんだと思います。
自分がすでにぼろぼろなときに誰かのために何かしてあげようとするのって自分のことないがしろにして犠牲にする自傷行為に近いとも思うんですよね。
そういうときは無理をせずしっかり休む。
心や体が喜ぶことをする。
自分の興味・関心を持てるものを学んだり挑戦してみる。
自分の生活や人生を充実させることをまずは大事にして
その上であまった思いやりをつかって誰かをできる範囲で助けてあげる心の持ち方の方が自分をすり減らさずに済むと思います。
個として強くなり、社会とのつながりを持つこと
2020年コロナ危機で失業し私は実家に戻って
「あーなんか色々やりたいことあったのにコロナウイルスで出稼ぎ仕事はできないし体の故障とか猫の介護で何もできなくなっちゃったな」
「日本社会も狂ってるぜ。ほんとどーしようもないな。そして私一人が叫んだって何も変わらない。」
と個人の人生も止まって足踏みさせられているような
社会の中の一人としての自分の無力さを感じていました。
個としての人生も不調で
社会という共同体の中の一人としての存在の価値が見出せなくなりすごくストレスが溜まっていました。
なにもかもうまくいっていない気持ちになって非常に苦しかったです。前進できていない感じがして。
自分らしい人生を手に入れようと思って頑張っているのに。
でも、コロナウイルスの影響で思うように動けないからこそ立ち止まって考えたり物事を深く考える時間にしようと思うようになりました。
以前のように外に飛び出して地方で働いたり人と交流したりもできない今、
今はちょっとじっとして、自分という人間を新しい知識で肉付けして強くする期間にするのも悪くないかなと思えたんです。
放送大学に入学して興味のある心理学、女性のキャリアデザインについて学んだりしています。
そこからまた興味が広がって違うことも学ぼうと思っています。
また、社会とのつながりにおいても自分の無力感や存在の価値が見出せないのなら必要としている組織とつながってみるのはどうだろうかと考えてコンタクトをとってみました。
フードバンクというNPO法人のボランティアスタッフになって食糧支援に関わったり、政治のイベントに参加してみました。
この行動は非常に自分にとって良いものになりました。
とくにフードバンクのような困っている人を現場でサポートしている人たちとの関わりは気づくものがたくさんありました。
机上の空論や、新聞の記事でもない。リアルに感じられるものでした。
本当に今現実に問題と対峙している人たちの思いや抱えている問題の深刻さ、どんな風に社会や制度に変わってほしいか、そして私個人がどんなことができるかまで考えるようになりました。
すぐに改善・解決に向かわずともこの問題から逃げずにいようと思えたというか、「他人事から自分事に変わる瞬間」でした。
2020年は私にとって「忍耐と模索の年」だったように思います。
苦しいことも多かったのですが少し成長できたかな。
思いきって郊外に引越したらストレスが減った
コロナウイルスも収束する兆しも見えない。
都心は通勤・通学する人が相変わらず満員電車ですし詰めになっている。
通勤・通学せざるを得ないわけよね。
都内に働きにいこうとも思えないし
今住んでいる家は家賃が高いので
住居確保給付金の支給+大家さんに交渉して家賃の減額に成功しその期間もそろそろ終わるということで
「家賃の安い郊外に引越しましょう!」と家族を説得しました。
引っ越しを決意し物件を決めてからはほんとうにドタバタで大変だったんですが
引越して本当によかった。
引越してから気づいたのですが生活のストレスが減りました。
- マンションの管理人がヒステリー気質でマンション内で会いたくなかった
- 都内にアクセスしやすくて便利だけど狭くて個人のスペースが少なかった
- 8年間も住んでいるので新鮮さがなく飽きてしまっていた
どんな点を重要視して優先順位をつけるかにもよるんですが
私の場合は郊外でもできる仕事を探して家賃を下げて生活コストを下げることで余裕が出る方が良かったんですね。
8年も都心に住んでいると都心でできる遊びってやり尽くしたので未練もないですしね…
自然(海・山)にアクセスしやすくて
チェーン店のスーパーじゃなくて直売所とか生産者により近い販売店で購入したいなとか
陽が当たるベランダや庭があって草花や果樹を育てたいなとか
そういうことが実現できる場所で暮らしたい!と思っていたのでそれらが叶うところに引っ越しができて非常に充実した日々を過ごしています。
でもきっと今のこの郊外での暮らしを楽しい、幸せだと感じられるのも都心での暮らしが長かったからなんでしょうね。
比較できるものがあるから良さを理解できるんだと思います。
逆のパターンもあると思います。
地元の田舎に住んでいてすごく世界が狭くて何をするにも窮屈に感じている人が都心に引越したらすごく自由で誰も干渉してこないから気が楽で最高!みたいなこともあると思います。
引っ越すと物理的に人との距離がとれるようになって人間関係をリセットできる感じもしますよね。
私が地方の出稼ぎ仕事(リゾートバイト)が気に入っていた理由は働く期間が限られているので契約期間を過ぎれば後腐れなく別れられるのが気楽でよかった部分もあることに気付きました。。
どちらのパターンにしても大事な点は自分が苦痛やストレスに感じている点に気づいて場所を変えたり何かしら対策を講じてみることでしょうね。
思いきって住む場所や拠点を変えたり、転職してみたり、新しいことを始めてみたり、不毛な関係を断ち切って物理的に離れてみるとか…(めんどくさい友人関係とか不倫関係とか)
コロナウイルスで動きにくい状況ではあるけど
ちょっと自分の生活のマイナス部分を取り除くために頑張ってみるとすごく良いことがあるものだな、と感じています。
ここからまた生活を再建しつつ学びを深めて新しい挑戦をしていきたいです。
SURFACEの曲を聴いてるとやりたいことはやらんとな!って気持ちになれるんですよね。
「ゴーイングmy上へ」も良いね〜。ショムニを思い出すね。なつかしい。
お気に入りは「さぁ」です!
「まもって守護月天」が大好きでした。